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《日本手話の「生活言語」と「学習言語」》

 

前回はバイリンガルになるための第2言語習得の中で、2つの異なる言語能力が必要になるというお話をしました。「生活言語」と「学習言語」ですね。

ろう者の場合、母語である手話の「生活言語」と「学習言語」はどうでしょうか?「生活言語」は日常生活の中で手話環境を確保すればなんとか自然に身に着くでしょう。しかし「学習言語」の方はどうでしょうか?今まで、ろう学校では手話で授業が行われていないのです。つまり教室の中に、授業をするための手話、教科の学習をするための手話が今までなかったのです。

手話の学習言語がない、というわけではありません。大学の授業を手話通訳付きで学んでいるろう者はたくさんいます。手話ニュースでは政治・経済のニュースも報道しているし、政見放送も手話通訳がつきます。高度に抽象的な内容についても、もちろん手話で語ることができます。

しかし、今まで、ろう児が成長していく中で、手話での学習言語を発達させる機会が与えられていなかったのです。母語の学習言語を十分に発達させることができなかった子どもが、第2言語で教科学習を進めていくのは大変に不利なことです。

後でまたお話したいと思いますが、学習には「転移」ということがあります。第1言語で「光合成」がどういうことかを知っていれば、同じことを第2言語で学ぶ時にはそれを第2言語で何と言うのかを覚えればいいのです。また、割り算を第1言語で学習していれば、第2言語で割り算をする場合に、割り算そのものを学びなおす必要はないわけです。ただ、それに使うことばを覚えればいいのです。

ですから、ろう児の場合、まず母語である手話の生活言語を身につけ、学校に入ってからは手話での学習言語を発達させていくことが必要になります。ろう児の場合、音声によるインプットがないので、いくら家中のものにすべて日本語での名前(てれび、れいぞうこ、でんわ、つくえ等々)を書いて貼っても、それで日本語が豊かな環境となって自然に母語として習得できるわけではないことを思い出して下さい。母語は自然に習得するもので学習するものではありません。ある言語を意図的に、たくさん訓練して学習しなくてはならないとしたら、それは本来母語にはならない言語です。また、名前を書いて貼れるようなものは、身の回りにある具体的なもので、生活言語の習得には役に立つかもしれないけれど、抽象的な言語である学習言語には結びつかないことにも忘れないでください。